なぜ火星衛星を探査するのか?

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JAXAの火星衛星探査計画 MMX (Martian Moons eXploration)。MMXならではの火星領域への往復旅行について、兵頭龍樹博士にインタビューを行いました。


今年の2月、三つの宇宙ミッションが次々に火星に到着する様子を世界は固唾をのんで見守っていました。最初の二つは火星のオービター(周回機)で、火星の気候を全球ビューでとらえるUAEの「ホープ」、そして火星の地質学に焦点を当て、地表にランダーとローバーを着陸させる予定の中国の「天問1」です。そして”火星トリオ”の三つ目は、ジェゼロ・クレーターに見事な着陸を成功させたNASAのパーシビアランスローバー。そのクレーターで太古の生命の痕跡を探査し、将来のサンプルリターンに備えてサンプル採取を行うミッションです。

宇宙科学研究所(ISAS)の研究者たちも、この成り行きに大いに注目していました。これからわずか数年で、私たちも同じように火星圏を訪れるという挑戦を成し遂げようとしているからです。ですが私たちの行き先は“赤い惑星”ではなく、その二つの小さな衛星です。火星衛星探査計画(MMX)では、2024年度の探査機打ち上げを目指しています。そして火星圏に到着後は敢えて目の前に大きくある火星ではなく、フォボスとダイモスとよばれる二つの衛星を集中的に観測することになっています。さらに、探査機をフォボスに着陸させてサンプルを採取し、2029年に地球へと帰還させます。一見何もないかと思える二つの衛星には、太陽系の初期に何が起きていたのか、また太古の火星にハビタビリティ(生命居住可能性)があったとしたら、それがどのように花開き枯れていったのかを語る痕跡があるだろうと、科学者たちは信じています。

太陽系科学研究系に所属する兵頭龍樹博士は、ITYF (国際トップヤングフェローシップ:世界のトップレベルの若手研究者をISASに招聘し、思う存分に研究をやってもらう制度)というポジションにおり、ISASでは火星衛星がどのように形成されるかのシミュレーションに取り組んでいます。兵頭博士によれば、フォボスとダイモスを取り巻く最初の謎は二つの衛星がどうやってつくられたのかという点です。実際、これら衛星の形成に関しては競合する二つの説があります。

「“捕獲説“と言われるものが一つです。」兵頭は以下のように説明します。「接近した小天体が火星の重力に捕まった、というものです。これは古くからある説で、火星衛星とD型小惑星の反射スペクトルが似ていることにより提案されてきました。」

小惑星は主に、火星と木星の間で太陽を周回する「小惑星帯」に存在しています。小惑星は、表面で反射する光の波長(反射スペクトル)によっていくつかのタイプに分けることができます。反射スペクトルは小惑星の表面物質に影響されます。D型小惑星というのは色がとても暗いのが特徴であり、波長が長い赤色や赤外線がわずかに反射される程度です。

多くの異なるタイプの小惑星が今も小惑星帯を周回していますが、それらの異なる組成は太陽系初期において小惑星が異なる場所で形成されたことを示します。これは、生命に必要な水や有機物などがどこからどうやって地球に来たのかを解明しようとしている科学者にとって、大きな手掛かりを与えます。

フォボスとダイモスが、D型小惑星が火星に近づいた際にその周回軌道に引き込まれたものである場合、フォボスからのサンプルは太陽系で最初に生成された有機分子の成分や輸送過程を明らかにしてくれるでしょう。ですが、全員がこの形成シナリオを信じているわけではありません。

「二つ目の選択肢は”巨大衝突説”です。」兵頭は説明します。「巨大衝突とは、火星への大きな天体衝突で破片がばらまかれ、火星の周りに破片円盤を形成するものです。」

火星衛星の起源に繋がるこの巨大衝突は、ボレアリス盆地(火星の表面積の40%を占める巨大な盆地)として火星表面にその痕跡が刻まれていると考えられます。また、ユートピアやヘラスのような小さい盆地を形成する衝突でも、二つの衛星を形成することができる量の破片を生み出すことが可能だとも報告されています。

「このような小さな盆地形成の場合でも、衝突速度はほとんど同じです。」兵頭はこのように続けます。「違いを生むのは衝突する天体の質量です。質量の違いにより破片の総量は変わりますが、衝突速度が似ているので、放出される破片は同様の熱力学的状態を経験することになります。」

熱力学的状態とは、破片の熱エネルギーに相当するものを指し、破片が溶融するかどうか、あるいは、蒸発する量などを決定するものです。この円盤内の破片物質が、衝突、合体を繰り返してフォボスとダイモスになります。

この破片円盤からの衛星形成説は、フォボスとダイモスが火星の赤道面をほぼ円軌道で公転していることを説明することができます。巨大衝突により地球の月ができたとも考えられていますが、アポロ計画によって持ち帰られた月のサンプルのおかげで巨大衝突を裏付ける物質科学的な証拠も見つかっています。

兵頭は次のように説明します。

「アポロ計画が持ち帰ったサンプルによると、月がかつて溶けていたことや、月と地球が同位体的に非常に類似していることがわかります。」

同位体とは、同じ原子(陽子数)でありながら原子核の中性子の数の違いが原因でわずかに質量が異なるものです。単に類似した物質からなる以上に、同じ同位体比を持つ物質からなる二つの物体があったら、同じ材料物質からできた可能性が非常に高い、つまり、同位体比が似ていることは地球からの物質が月を形成したという衝突説をサポートします。また巨大衝突のエネルギーは、溶融物質も生み出します。

アポロ17号のミッションで、サンプル採取用スコップを使用して月面サンプルを採取するNASAの宇宙飛行士ハリソン・シュミット氏。MMXの探査機ではこれをロボットで行う計画。(画像クレジット:NASA)

「火星の衛星の場合、その力学的側面(軌道の様子)は巨大衝突による形成説を支持しています。」兵頭博士は続けます。「しかし、月のように物質科学的な証拠が無い状況では、火星やその衛星で何が起こったかを確信するには至りません。」

二つの衛星については、その成り立ちについてだけではなく、形成後に何が起きたかという点も議論されています。最近の論文で相次いで議論されているのは、巨大衝突後に二つの衛星がどのように長期進化したのかに関する、異なるシナリオです。

「ただこれらが皆、衝突説を暗に前提に議論していることを念押ししておきます。」兵頭はこのように述べています。「巨大衝突の後に何が起きたか、そしてフォボスの潮汐進化(天体が別の天体の重力で球体からずれて変形することにより引き起こされる衛星の軌道の変化)がどのようなものであったか、という点で違いがあるのです。」

二つの衛星のうち内側にあるフォボスは、ゆっくりと火星に向かって引っ張られています。これは火星重力により起きる潮汐でフォボス自体が歪んで、結果として内側に引っ張られる力が働くためです。最終的には、フォボスが火星表面に衝突する前にバラバラに破壊される可能性があります。一つの説として、この避けられない天体の「死(潮汐破壊)」は、火星史の中で何度も繰り返されてきたということです。巨大衝突により最初に作られた内側の衛星は、すぐに火星の重力によってらせん状の軌道を描いて内側へ引き寄せられ破壊されました。この破片が新しい円盤を形成し、そこから次の世代の衛星が生まれたのです。研究によると、今私たちが目にしているフォボスよりも前に、5世代の衛星が存在していた可能性があります。

(A)巨大な小天体の衝突 (B)ダイモスと巨大な内側の月の形成 (C)破片によってできた円盤が2つの月を外側に押し出す (D)円盤が消えたのち、潮汐力により2つの月を内側に引き戻す (E)内側の月が破壊され輪が形成される (F)新しい内側の月が形成される (G)円盤が内側の月を外側に押し出す。ダイモスと3:1の共鳴軌道になるまで2つの月は外側に移動する (H,I)円盤が消え、内側の月が潮汐力により内側に引き戻され、再び破壊される。ダイモスは静止衛星軌道高度を超え、外側に動き続ける (J)フォボスが新しい輪から形成される。(詳細は MMX News)

もう一つの説は、フォボスとダイモスはかつて一つであり、数十億年前の衝突により二つに分かれたというものです。これは、別の潮汐進化モデルによってフォボスとダイモスの軌道がかつて交差したことがある(つまり元は一つである)、という理論に基づいていますが、まだ詳細なシミュレーションの必要があります。

兵頭は、巨大衝突からの破片円盤内で進行する衛星形成過程を再現するコンピュータシミュレーションを、以下のように説明します。

「集積過程はランダム要素を含むので、できる衛星がたった一つのこともあれば、三つのこともあります。巨大衝突により最初に一つだけ衛星が作られ、のちに破壊され二つに分かれたとすることもあり得る、つまり、フォボスとダイモスが当初は一つであった可能性はあるのです。」

MMXによって採取され地球に帰還されるフォボスの物質は、アポロ計画のサンプルによって月の歴史がひもとかれたように、科学者たちに火星衛星を分析する機会を提供してくれることでしょう。兵頭は、これは現在提唱されている異なる主張に決着をつけることに繋がるだろうと考えています。

「採取したサンプル中に火星本体の物質が大量にあり、蒸発しやすい揮発性物質が少ない状態であれば、答えは捕獲説ではなく巨大衝突説ということになります。」

兵頭の巨大衝突シミュレーションによると、巨大衝突により発生した破片には火星本体の物質が約50%含まれており、残りはインパクター(衝突天体)のものとされています。さらに衝突は高温状態(約2000K、1730℃)を作り出すため、ガスに変わりやすい元素(揮発性物質)は蒸発してしまいます。

「ややこしいのはフォボスの長期的な進化です。」兵頭はこのように説明します。「フォボスの重力場の詳細な測定、そして内部構造を明らかにする観測は、火星重力による潮汐で衛星がどのように引っ張られているかを見極める鍵となるでしょう。また、(今の)フォボスがいつできたのかについても異なる年代が提唱されているため、それを制約するために表面物質の年代を特定することも重要です。」

二つの衛星を探査する火星衛星探査機 (MMX) の想像図

兵頭は、捕獲説・衝突説のどちらを支持することになろうとも、フォボスからのサンプルによって太陽系の形成に関する知見が豊富に得られるのだと強調します。

「もし捕獲説が正しければ、始原的な有機物がどういったものであるのかについての理解を深めることができる、原始の物質が手に入ることになるでしょう。もし衝突説が正しければ、太古の火星、つまり火星への巨大衝突が起きた頃の火星のサンプルを集めるということになるのです。」

我々は衛星という小さな物体からとても大きなことを学ぶことになります。

「火星衛星探査計画(MMX)で我々はごく小さい衛星を探査しますが、」兵頭は続けます。「これは単に衛星そのものだけについての話でなく、太陽系の物質や火星本体からの物質に関することなのです。」

さらに意外かもしれませんが、いずれにせよ、フォボスのサンプルには過去の火星の断片を含まれていることが強く期待されています。これは、衛星がどのように形成されたかとは関係なしに(その成因が巨大衝突でなくても)、MMXが人類初の火星からのサンプルリターン計画となることを意味しているのです。

「幸運なことに、フォボスの軌道は火星にとても近い場所にあります。小天体が火星に継続的に衝突することで、火星のあらゆる場所から火星表面物質が掘り起こされ、弾き飛ばされて、フォボスの地表へ強い衝撃や損傷なしに輸送がされます。このことは、フォボスがどうやってできたのかとは無関係です。」

これまでに地球で発見されている火星隕石は、固い火成岩から出来ています。これは、火星からの強い衝撃を伴う放出や惑星間の飛行、地球の大気圏への突入などが脆い物質を破壊してしまうためです。しかし、火星から放出されフォボスに到着するまでは障壁の少ない道のりで、簡単に壊れてしまう有機物でさえ一部は生き残ることができると考えられています。火星の太古の大気中に存在したイオンも、フォボスの火星側の面に閉じ込められていると考えられているのです。

また、火星の粒子に存在する放射性元素を分析すれば、粒子が火星で形成された年代を測定することができます。これにより、MMXで採集された様々な火星起源の粒子を調べることで、火星史のすべてを網羅して明らかにできる可能性があります。このサンプルが地球に帰還されることは、つまり、火星のハビタビリティとその衰退の記録が我々の手に入るということ。そういった可能性を踏まえてMMXは火星本体でなく衛星にフォーカスしているのです。

火星地表でのNASAパーシビアランスローバーの想像図(画像クレジット:NASA)

「NASAのパーシビアランスは、ジェゼロ・クレーターという魅力的な対象をとても詳細に調査することになっています。」兵頭はこのように続けます。「ですが、そこにある情報はその地域に限られたものかもしれません。もしかしたら火星全体の進化の典型的なものとは言えないかもしれません。それに比べて、MMXが調査する火星破片は偏りなく火星の地表いたるところから収集したことになりえます。ただMMXの持ち帰るサンプルの場合、サンプルのごく一部だけが火星本体からの物質になります(残りは巨大衝突または捕獲説で期待される衛星の材料物質)。ですので、MMXとパーシビアランスはそれぞれが”多様性の理解”と”詳細に理解”という補完的な役割を果たして、火星進化を包括的に理解するために協働して前進することができるのです。」

(文: Elizabeth Tasker/ 訳:磯辺真純)


関連リンク:
火星衛星探査計画(MMX)ウェブサイト