地球環境を締め出せ:小惑星リュウグウサンプルを汚染から守るために

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「これ、ウチではないよね?」

このたったひと言のメールを藤本 正樹(ふじもと まさき)宇宙科学研究所 副所長が送った相手は、深宇宙から採取した試料(サンプル)を管理・分析する地球外物質研究グループでした。JAXA相模原キャンパスのキュレーション設備では、JAXAの「はやぶさ」が地球へ届けた小惑星イトカワ、「はやぶさ2」の小惑星リュウグウ、NASAの「OSIRIS-REx」の小惑星Bennuの試料がエアロックされたクリーンルーム内で厳重に保管されています。人類が達成した3回の小惑星サンプルリターンミッションで採取されたこれらの岩石の重要性は、宇宙から地上に落ちてくる隕石とは違って地上環境の影響が全くないという点にあります。

藤本教授の緊張感に満ちた質問の下には、最近のとあるメディア記事へのリンクが貼られていました。記事のタイトルは:

Japan’s priceless asteroid Ryugu sample got ‘rapidly colonised’ by Earth bacteria

和訳すると “日本が持ち帰った希少な小惑星リュウグウの試料、地上の細菌の急速な繁殖の舞台となる” です。

「少なくともJAXAキュレーションでないことは確かです」

と、臼井 寛裕(うすい ともひろ)地球外物質研究グループ長からすぐに返信が送られました。

このメディアの記事には基となった学術論文がありました。汚染が確認されたのは科学的研究のためにロンドンの研究チームに貸し出された、大きさ1mmの粒子。英国の実験室内で分析の準備を行う中、粒子は地球の大気に曝露されました。その後の観察でフィラメント状の構造の存在が明らかになり、観察中にその数が変化したことから、これらは地球上の微生物であることが示唆されました。

ですが臼井教授が確信をもって返信できたのは、汚染の原因に関する結論が論文に明記されていたからではありません。「はやぶさ2」が打ち上げられる前からも、リュウグウ試料を保護するための手順がしっかりと講じられていたからです。

地球環境との闘い

2020年12月6日、ひとすじの明るい光が南オーストラリアの夜空を流れました。日本では管制室のスクリーンに映し出されたその光景に、探査機の運用チームから歓声が上がりました。「はやぶさ2」の打ち上げから6年が経ち、小惑星リュウグウから採取した試料を入れたカプセルが、とうとう地球に帰還したのです。

「はやぶさ2」の再突入カプセルは大気圏に突入した際、火球のような軌跡を残した。オーストラリアのクーバーペディ付近で撮影。

ウーメラ実験場の立入禁止区域内(軍により管理されている区域)では、オーストラリア政府から特別な許可を得て立ち入った回収班が急ピッチで作業を進めていました。再突入カプセルが地上に着地すると、時計の針が動きだします。着地予定エリアである100キロメートル四方の砂漠地帯の中から再突入カプセルの場所を特定し、カプセルを回収し、日本に持ち帰ってJAXA相模原キャンパスのキュレーション設備内の管理された環境に安全に運ばれるまで、着地から100時間以内である必要がありました。時間切れになれば、失敗を意味します。

「はやぶさ2」プロジェクトでサブマネージャを務めていた中澤 暁(なかざわ さとる)は、「サンプルリターンミッションでは汚染防止のため、回収時間についても厳しい要求が課せられます。」と説明します。「『はやぶさ2』では、地球帰還してから100時間以内にサンプルコンテナをクリーンルームに輸送しなければなりませんでした。」

再突入カプセル内に安全に収められたサンプルコンテナは、タッパーウエアのような容器とはまるで違います。リュウグウ上でサンプル採取中に舞い上がった小惑星の物質は、探査機のサンプラーホーンを通ってサンプルコンテナに入りました。サンプルコンテナは小惑星の地表上の宇宙空間、つまり真空状態で蓋が閉められ、アルミニウムの縁でできた金属機構でシール(密封)されました。このメタルシール機構はJAXAが新たに開発したもので、ガス(気体)さえも地球に持ち帰ることができるよう密閉性能を高くしたものです。

2019年2月22日、一回目のタッチダウンでサンプルを採取する際、「はやぶさ2」搭載の小型モニタカメラ(サンプラーホーンの延長上にサンプラーホーンの状態をモニターするために搭載)が撮影した一連の画像。左上はタッチダウン直前の画像で、右上、左下、右下は探査機が上昇する際に撮影されたもの。

「はやぶさ2」のシステムエンジニアを務めた澤田 弘崇(さわだ ひろたか)は、「地球帰還時の衝撃に耐えるメタルシールを開発するために、筋肉痛になりながらサンプルコンテナにハンマーで衝撃を加えること、その数1000回以上でした!」と話しました。

これにより密封されたサンプルに地球の環境因子が入り込むことを防げますが、「はやぶさ2」探査機の製造工程で、もしすでに地球からの微生物の乗客を乗せてしまっていたらどうでしょうか?これを防ぐために、探査機を組み上げるよりも前の段階から汚染管理を徹底して実施してきました。

発射台から

「はやぶさ2」の探査機の製造工程において、小惑星と直接接触することになる部品はすべて徹底的に洗浄されました。この ”フルコース” 洗浄とは、イソプロピルアルコール(IPA)、ジクロロメタンとメタノールの混合液、超純水による超音波洗浄による消毒で、この探査機が地球上で製造されたことを示すいかなる物質をも除去するような計画でした。

開発段階が探査機組み立てや試験に進むと、サンプラーホーン周辺はいかなる異物も追い出すべく、陽圧になるよう高純度窒素ガスで常にパージして管理されていました。

ですがこれらの手順を全て行っても、汚染の完全な排除を保証するにはまだ十分ではありませんでした。

打ち上げ直前の「はやぶさ2」 PAF (Payload Attach Fitting)結合の様子。

「探査機組み立て現場では、人が動いて作業し、様々な部品を周辺で使用したりするため、汚染を完全にゼロにすることはできません」地球外物質研究グループの坂本 佳奈子(さかもとかなこ)はこのように説明します。

そのため、回収された小惑星から持ち帰った試料と、地球と小惑星との往復旅行にタダ乗りをした可能性のある汚染物質とを識別する方法が必要でした。「はやぶさ2」が工場で組み立てられる間は地球上からの混入がないか、温湿度とパーティクルカウンターによって環境を監視しました。探査機が射場である種子島宇宙センターに移動してからも、探査機作業が行われる3つの建屋に関して、室内大気中の塵と床や棚の上の物質を採取して評価を行うなどして継続しました。サンプラーホーン付近では、有機物質と無機物質の汚染評価が可能なコンタミクーポンセット(環境をモニタリングするためのセット一式で、ガラス製やアルミニウム製のシャーレやディスク、プレート、サファイアグラス製のディスク、カーボンテープなどから構成、様々な汚染物質のサンプリングやその後の分析方法に対応するもの)を用い、打ち上げ直前までモニタリングしていました。

これらの評価の結果、汚染の可能性があるのはごく微量で、サンプルの回収量をはるかに下回っていることが示されました。ただしそうであったとしても、これら潜在的な汚染物質は、将来のリュウグウ試料の分析中に ”何か” が発見され比較が必要になった場合に備えて保管されました。

2014年12月4日、探査機が宇宙へと打ち上げられたあとには、打ち上げ発射台の土壌も追加検査のため採取されました。もし戻ってきた粒子とともに何か見つかった場合にすぐに識別できるようにするためです。

時間との闘い:タイムリミットは100時間

0時間後:

2020年12月6日午前2時32分(日本時間)、ウーメラ実験場の立入禁止区域内に設置された地上アンテナが、降下中の再突入カプセルから発信された無線信号を受信しました。その十数分後にカプセルが地上に着地すれば、JAXAのキュレーション設備に到着するまでの100時間の時計の針が動き出します。

着地した再突入カプセルの位置を特定するのに、回収班は幸運を期待していたわけではなく、周到な準備がなされていました。地上アンテナ五か所、さらに受信機を装備したヘリコプターがカプセルからの信号を待ち受けます。また6年間にわたる深宇宙の旅でビーコン(発信機)が故障した場合に備えて、カプセルのパラシュートが開けば探知できるように海上にはマリンレーダーが四か所で待機していました。パラシュートに不具合があった場合に備え、大気圏突入時のカプセルの光跡を観測することで地上での最終的な着地点を予測できるようにもしてありました。さらに、着地後のカプセルを発見するためにドローン画像の解析も行われることになっていました。

カプセルの推定着地時刻は、日本時間の午前2時47分から2時57分の間でした。

カウント、スタート。

オーストラリアのウーメラに無事着地した「はやぶさ2」の再突入カプセル。

0~5時間後:

日本時間、午前3時7分。検出されたビーコン信号をもとに三角測量の原理で着地エリアが推定されました。ウーメラのカプセル回収隊本部から、その10分後にヘリコプターがその地に向け飛び立ちました。

午前4時47分、ヘリコプターから再突入カプセルが目視で確認されました。

午前6時23分には、カプセルの回収作業が開始。ここで重要視されたのは安全性です。パラシュートを開傘させるために火工品が使用されていて、そのすべてが爆発しきれていない可能性も残っていました。すばやく行動したい思いと裏腹に、慎重な動きが求められていました。

午前7時32分、再突入カプセルの回収作業が完了し、カプセルはウーメラ実験場にある回収隊本部の中に設置した「クイックルックファシリティ(Quick Look Facility, QLF) 」と呼ばれるクリーンブースへ向かいました。

5~11時間後:

午前8時03分、再突入カプセルを載せたヘリコプターがQLFに到着。カプセルはブースの中で不要部品が取り外され、サンプルコンテナが取り出されました。サンプルコンテナはこの時、このために特別に準備されて日本から輸送されたガス(気体)のサンプリング装置に接続されました。ガス採取・分析装置(GAEA)と呼ばれるこの装置は、真空環境を保持した状態でサンプルコンテナの中に閉じ込められたガスを採取することができます。

サンプルコンテナの密閉性は極めて高かったものの、地球の大気圏への再突入の際に地球大気の一部が入り込むこと(大気圧下リーク)が予測されていました。ですが、測定によりサンプルコンテナの内圧は地球大気のわずか千分の一以下で、ガスの化学組成も地球の大気とは異なることが分かりました。さまざまな気体元素を慎重に分析した結果、このガスサンプルはリュウグウ粒子から放出された地球外のガスと地球大気の混合であることがわかりました。サンプルコンテナの内圧はきわめて低いことから、地球の酸素や水がリュウグウ粒子に取り込まれたとしてもその質量は数十マイクログラム、つまりサンプル全体の質量の10万分の1 から1万分の1程度と推定されました。なお、この一連の作業で地球外ガスを深宇宙から世界で初めてサンプルリターンしたことにもなりました。

「はやぶさ2」が持ち帰ったサンプルコンテナに閉じ込められたガスを回収するためにクイックルックファシリティに設置されたガスのサンプリング装置。

 「『はやぶさ』は実証機でしたが、『はやぶさ2』は実用1号機。」と「はやぶさ2」の拡張ミッション「はやぶさ2#(シャープ)」のチーム長である津田 雄一(つだ ゆういち)は話します。「『はやぶさ2』チームは、サンプル採取装置、格納容器、地球帰還カプセル開発にもその精神で取り組みました。リュウグウのサンプルが汚れず、変化せず、漏れずに地球に戻ってくるための技術。『はやぶさ2』には ”採取できること” と 、”採取して科学に使うこと” の間を埋める地道で精密な技術がたくさん組み込まれています。」

再突入カプセルの着地から約11時間後。大気圏降下中に再突入カプセルを熱から守るために装着されていたヒートシールドが前面、背面ともに発見され、ウーメラの回収隊本部に運ばれました。再突入カプセルの最終降下で夜空を彩ったまばゆい光は大気中での激しい加熱によるもので、その温度は約3000℃に達したと考えられています。ですが、カプセルに搭載された再突入飛行計測モジュール(REMM)により取得したデータを分析すると、サンプルコンテナの温度は65℃を一度も上回ることはなく、試料を脱水させるほどの温度よりはるかに低く保たれていたことが分かりました。

57 時間後:

日本時間12月7日午後10時30分、サンプルコンテナは真空環境を保たれたまま、ウーメラ空港からチャーター機で飛び立ちました。

12月8日午前7時20分。日本の羽田空港にチャーター機が着陸しました。

午前10時31分、サンプルコンテナを積んだトラックがJAXA相模原キャンパスに到着。

11時27分には、サンプルコンテナはJAXA地球外試料キュレーションセンター内に持ち込まれました。これは再突入カプセルが地球の土に触れた瞬間から数えて、約57時間後のことでした。

「様々なトラブルも想定していましたが、計画上ほぼ最短時間の成果でした。」中澤はこうコメントします。

時計のカウントは、40時間余りを残してストップしました。

母親にもここまでピカピカに掃除しなさいとは言われないほどに

JAXA地球外試料キュレーションセンター(ESCuC)のクリーンルーム内にあるクリーンチャンバ(試料を保管や取り扱いするための真空チャンバもしくは窒素雰囲気のグローブボックスの呼び名)はステンレス(SUS304)製で、内面に電解複合研磨と酸アルカリ精密洗浄を施してあります。これらのチャンバにはリュウグウ粒子を一かけらでも入れる前に、真空排気し、100℃で真空ベーキングを行うことで、チャンバ内面に吸着している大気成分を除去しました。

小惑星リュウグウのサンプルが保管される、JAXA地球外試料キュレーションセンター(ESCuC)にある「はやぶさ2」のクリーンルーム。

クリーンチャンバは、クリーンルームの清浄度レベルを示した国際統一規格でISO6に適合するクリーンルームの中に設置されています。ISO6の指定には、1立方フィートの体積中に含まれる浮遊塵が1000個未満(0.5㎛サイズかそれ以上の粒子の数とする)、さらにHEPAフィルタを介した空気交換を1時間当たり180回、という要件が求められています。クリーンルームの作業員は必ずエアロック設備を通過して部屋に入る必要があり、防護服を着用し、化粧水などのスキンケアアイテムからコスメなどの物質まで、総じて使用は禁じられています。クリーンルーム内では紙や鉛筆と言った普通の物でさえ使用できないので、メモを取る際にはタブレットや発塵を抑えるように特別に作られた “クリーンペーパー” などを使用します。

このような環境下で、ついにサンプルコンテナが開封されました。

左: 観察用の容器に入れられた後、サンプルコンテナ内のサンプルキャッチャーA室内部で確認された小惑星サンプル粒子。右:「はやぶさ2」サンプルキャッチャーA室。カバーを取り外した状態。

「サンプルコンテナは日本到着後、真空環境を保持したまま、不要部品の取り外し、外面のクリーニングを実施しました。地球外物質研究グループの矢田 達(やだ とおる)はこのように説明します。「コンテナは真空環境のクリーンチャンバに導入されました。この高真空環境においてサンプルコンテナを開封しました。」

サンプルコンテナが高真空環境のクリーンチャンバに入れられて開封されると、小惑星の粒子が収められた “サンプルキャッチャー” が現れました。

サンプルキャッチャーは隣の真空環境のクリーンチャンバに真空環境のまま移動されました。キャッチャーの蓋が取り外されると、小惑星リュウグウのかけらは初めて、人類の目によって直接確認されました。

クリーンチャンバ内で小惑星リュウグウのサンプルが初めて確認され、ハイタッチで喜びを分かち合うメンバー。

サンプル粒子の取り扱いルールブック

真空チャンバの中では、ミリメートル大の粒子が2~3個ほど取り分けられました。キャッチャーに格納されていた残りの試料は更に隣のクリーンチャンバに移動されました。二つのチャンバを仕切るゲート弁が閉まると、取り分けられた粒子があるチャンバとキャッチャーに残された粒子がある場所の二か所の異なる環境に分かれました。

キュレーション内、高純度窒素環境の中で特殊なピンセットを用いて「はやぶさ2」が持ち帰ったリュウグウの粒子を拾い上げているところ。

その後、キャッチャーが入っていたチャンバを、高純度の窒素ガスに置き換え(窒素でパージし)ました。窒素はきわめて反応性が低いためサンプル粒子との化学反応のリスクがなく、窒素環境では大気圧に調整することによりサンプルの取り扱いをグローブで行うことが可能です。この窒素の不純ガス濃度は1ppm以下(〜300ppb)に保たれていて、有機溶剤、超純水による超音波洗浄とアルカリ洗浄、UVオゾン洗浄を施した容器、器具、治具のみをクリーンチャンバ内に持ち込みました。このような条件が整った環境で、最終的にサンプル粒子はキャッチャーから取り分けられて、「はやぶさ2」が小惑星リュウグウから採取した粒子の定量的な初期記載が始まりました。

初期記載とは、重量測定(秤量)、光学顕微鏡による観察、可視光と近赤外光による分光測定のことです。分光測定は、サンプル粒子から反射されるさまざまな光の波長を調べると、粒子の組成の違いを紐解くヒントになります。一定の割合の粒子は将来の研究のために保管されました。

キュレーション内、グローブボックスでの作業。この環境ではこのために用意された特殊なツールのみが使用できる。

クリーンチャンバ用に認められた治具類で試料を扱う際は、治具の摩耗などによって生じる物質が試料表面に付着しないよう、細心の注意を払ったプロトコルに従いました。サファイアガラス製のサンプルコンテナと真空ピンセット、スパチュラ(耳かき状のヘラ)のみが、リュウグウ粒子に直接触れることができます。キュレーションの研究者が内部に手を伸ばすことができる、バイトンコートがされたブチルゴム製のグローブはクリーンチャンバに取り付けられ、試料の取り扱い中に試料の上を通過することは決してありません。これら、器具に由来する物質は試料の検査中には明らかに異物として認識されるため、汚染検査で容易に識別することができます。これら地球由来の物質の試料への有意な付着は認められませんでした。

JAXA国際宇宙探査センター(JSEC)による、キュレーション設備の紹介動画。

小惑星サンプルを世界の科学コミュニティに向けて

リュウグウ試料はカタログ化され、リュウグウサンプルデータベース(Ryugu Sample Database System)で世界中から閲覧することができます。このサイトはリュウグウ試料の初期記載から得られたデータを調べ、サンプルを用いた研究計画を提案する際に使用することができます。

「研究提案は国内外の専門家により、その科学的価値のみならず、試料のハンドリングや返却計画などの技術的な点を考慮し、審査されます。」臼井教授はこのように説明します。「審査内容は、審査員とは独立にJAXAが依頼した審査パネルメンバにより評価され分配先候補として認定されます。さらに、その分配先候補のリストは、この分野における世界的な研究者で構成されたサンプル分配委員会により最終的に承認されます。」

第5回リュウグウ試料研究公募で世界中の研究室に配布されることが決定した小惑星リュウグウの粒子。

国内外の専門家による査読・公募パネル委員による議論を経て採択された研究提案に対しては、研究を行うのに適切な量のリュウグウ試料を配布することになります。

「幾重にも渡る公平な審査を経て承認された研究提案には、」臼井教授はこう続けます。「アカデミズムとしての自由闊達な発想に基づく研究も多く、これらからは既に続々と素晴らしい科学成果が生み出されています。」

割り当てられたサンプル粒子は、密封型の容器である施設間輸送コンテナ(Facility to Facility Transportation Container, FFTC)に入れられて世界中の研究設備に向けて旅立ちます。FFTCはクリーンチャンバ用の器具と同じ洗浄を経ており、クリーンチャンバの窒素環境のなかでサファイアガラス製容器に粒子を収め、その容器をFFTCに格納して密封します。クリーンチャンバ外にFFTCを搬出できるのはそれが確認出来てからですが、別の窒素環境グローブボックスの中でガスバリア袋に密封して、研究者へ発送、もしくは研究者に手渡されハンドキャリーで持ち帰りしています。

徹底した環境評価

JAXAの地球外試料キュレーションセンターではクリーンルームおよびクリーンチャンバについては、無機元素、有機物、微生物環境評価を定期的に行っています。微生物環境評価については年1~2回、設備の表面ふき取りによる無機元素、有機物の評価を2~3か月に1回、空中浮遊有機物に関してはさらに高頻度で評価を行っています。

研究施設間で粒子を移動するための施設間輸送コンテナ (FFTC)。純窒素環境の中で密封される。

「微生物環境評価については、米国航空宇宙局(NASA)ジョンソン宇宙センターが採用している方法の一部を実施しました。」学際科学研究系の木村 駿太(きむら しゅんた)特任助教はこのように説明します。

これまでに「はやぶさ2」のサンプルを取り扱うクリーンルーム環境・クリーンチチャンバ環境から微生物コロニーが検出されたことはありません 。

フォボスに向けて

この地球外試料キュレーションセンターの極端ともいえる地球環境による汚染への防衛策は、JAXAの火星衛星探査計画(MMX)が地球のお隣の赤い惑星、火星の衛星に向かう際にも再び実践されることになります。MMXは2026年度中の打ち上げを目指していて、火星の二つの衛星を詳しく調べ、そのうちの一つ「フォボス」からサンプルを採取して2031年に地球へ届けることになっています。

打上げ計画時期まで2年ほどありますが、探査機の組み上げが行われるクリーンルーム内ではすでに徹底した汚染管理・評価が進行中です。持ち帰る試料への汚染を防ぐために、探査機組み立てや試験中は、窒素ガスを常にパージし、サンプリング部およびホーン部内が陽圧になるように管理し、クリーンルームもパーティクルカウンターとコンタミクーポンによって探査機およびサンプラが置かれていた環境を打ち上げ直前まで常時モニタリングされています。クリーンルームを常時モニタリングし、環境中に存在する微生物のサンプリングも実施し、探査機に混入しうる微生物のデータを取得・蓄積しています。

火星衛星探査計画(MMX)の探査機が製造されている三菱電機鎌倉製作所を、フランス大使とドイツ大使(中央)が訪問。三菱電機の佐藤常務執行役(左)、JAXAの山川理事長(右)が並ぶ。後ろにあるMMXの探査モジュールには、組み付けられたローバ(IDEFIX、フランスとドイツの宇宙機関が開発)が顔をのぞかせている。(写真提供:三菱電機)

そのうえで、探査機の打ち上げ前には「C-SMP」(Corer Sampler, 円筒をフォボス表面に突き刺してサンプルを採取する機構)と呼ばれるサンプリング装置、そして「SSTM(Sample Storage and Transfer Mechanism、サンプル保管・輸送メカニズム)」とがもう一度分解されて、イソプロピルアルコール、ジクロロメタン/メタノール混合液、超純水による超音波洗浄のフルコース洗浄精密洗浄が実施されます。サンプリング装置は再組み立て後に射場である種子島宇宙センターで探査機本体と合流し、ここでも引き続き汚染物質の侵入を防ぐために窒素でパージされます。MMXにはNASAが開発した「P-SMP」(Pneumatic Sampler、ニューマティック採取機構と呼ばれ圧縮ガスをフォボス表面に吹き付けてサンプルを採取する機構)も搭載していて、この機器の洗浄はNASAが行うことになっています。「C-SMP」も「P-SMP」も、継続して窒素でパージされます。

さらに種子島での環境モニタリングは既に開始されており、フライト品が扱われるクリーンルーム内の微生物環境の予備調査(地上設備表面のふきとり、空気中の浮遊微生物の採取)が行われています。

フォボス表面でサンプリング装置「C-SMP」を用いて試料を採取している火星衛星探査機(MMX)のイメージ。

「火星衛星探査計画(MMX)では、『はやぶさ2』から引き続き、探査機の設計・組み上げ段階から、徹底した汚染管理・評価を実施しています。」太陽系科学研究系の菅原 春菜(すがはら はるな)特任助教はこう説明します。「環境モニタリングは種子島射場でも実施されます。種子島クリーンルーム内の微生物環境の予備調査も既に実施し、打ち上げに向けた準備を進めています。」

MMXが地球に帰還した後も、フォボスからのリターンサンプルはJAXA地球外試料キュレーションセンターでは小惑星リュウグウの時と同様の条件下で取り扱い・管理がされることになっています。クリーンチャンバやクリーンルームと同様にMMXの設備も無機物や有機物、微生物に関して徹底した汚染評価を行うことになっています。

私たちの起源を目にする

小惑星リュウグウのサンプル粒子は現在、日本のほかに、英国の科学博物館(Science Museum)、フランスのシテ・ド・レスパス(Cité de l’espace、宇宙開発を主題にしたテーマパーク)で一般向けに展示されています。展示用の粒子も、科学分析用のサンプルと同様にJAXA地球外試料キュレーションセンターのクリーンルーム内のクリーンチャンバ内、FFTC容器に密封されたものです。

もしこれを読んでいる皆さんが一般展示を訪れることができたなら、私たちの地球の、”本物の過去のかけら” を目にすることができるということになります。このかけらは地球がまさに形成されようとしていた頃、つまり太陽系の最初期にできた粒子であり、深宇宙から初めてガス(気体)のサンプルを届けることができるほどしっかりと密封された容器の中に収められ、現代の地球に届けられ、クリーンチャンバの中の高純度窒素の環境下で保管されていたものなのです。

リュウグウの粒子は ”私たちの起源” の証拠そのもので、科学的意義が失われることのないよう、その保存には細心の注意が払われています。

(文: Elizabeth Tasker/ 訳:磯辺真純)


関連リンク:

地球外物質研究グループ ウェブサイト

ウェブニュース記事(英語): “Japan’s priceless asteroid Ryugu sample got ‘rapidly colonised’ by Earth bacteria”(space.com)

学術論文(英語):“Rapid colonization of a space-returned Ryugu sample by terrestrial microorganisms” (Meteoritics & Planetary Science)

宇宙科学研究所ウェブリリース:「リュウグウ粒子から微生物汚染が見つかったとする論文について」(宇宙科学研究所ウェブサイト

学術論文(英語): “A curation for uncontaminated Hayabusa2-returned samples in the extraterrestrial curation center of JAXA: from the beginning to present day” (Earth, Planets and Space)

テクニカルレポート(英語): “Contamination analyses of clean rooms and clean chambers at the Extraterrestrial Sample Curation Center of JAXA in 2021 and 2022” (JAXA Repository)