X線分光撮像衛星XRISMー打ち上げを前にー宇宙最大の天体について何が分かるのか?

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「物体が高いところから低いところに落ちるとき、重力ポテンシャルを失うことで運動エネルギーを得る」

物理の教科書でよく見かけるような言い回しです。こう話す山口弘悦准教授は、学生さん向けに「井戸に物を落とすと…」というような一般論を論じているのではありません。これは宇宙最大の構造物である銀河団(銀河クラスター)の形成について説明した文です。銀河団の中で何が起きているのか。これは長い間不明でしたが、来年度に打ち上げが予定されているX線分光撮像衛星XRISM(クリズム)によって新たな展開が期待できそうです。

X線分光撮像衛星XRISMのイメージ画 (XRISM)。

宇宙の誕生直後、すべての物質は宇宙空間にほぼ均一に広がっていました。ですが、その分布にはわずかなムラがあり、ほんの少し密度の高い領域があり、それが周囲により強い重力を及ぼすことによって、さらに多くの物質を引き込むようになりました。宇宙論的な時間の経過とともに、ダークマター(暗黒物質)とガスが高密度に集まった広大な領域となり、やがて銀河団になりました。

銀河団の領域に物体が引き込まれるのは、井戸に物を落とすことによく似ています。ガスよりも質量の大きいダークマターが、銀河団の存在する領域にガスを引き込む重力を主に作り出しています。ガスがここに流れ込む際に、重力ポテンシャルエネルギーはガスの運動エネルギーに変換されます。

「この運動エネルギーはやがて熱運動に代わり、ガス温度が高くなるというわけです。」山口准教授はこのように説明します。「つまり、重力の”井戸”にガスが落ちると、熱エネルギーを得ることになります。このダークマターに引き付けられたガスが銀河団に蓄積する様相が、XRISMが主に観測する対象です。」

落下中のガスの温度はとても高く、放出されるのはガスストーブから出るような赤外線ではなく、それよりはるかに高いエネルギーを持つX線です。X線の光子(フォトン)は、銀河団の核にある高温ガスから多くのエネルギーを奪い、その温度を下げようとします。しかし、このようなメカニズムが何十億年も続いているのにもかかわらず、銀河団ガスの高温は維持されるのです。

「これはとても不思議なことです。」山口准教授はコメントします。「現在、この銀河団中心で何が起こっているか、ほとんど分かっていません。」

高温が維持される原因は、(AGN(活動的銀河核)とも呼ばれ、銀河中心にある)超巨大ブラックホールの周りを高速回転するガスや、(重い星の最期に起きる)超新星爆発により放出されるエネルギーなど、銀河団を構成する銀河に関連する可能性があります。ただ、これが正しいのかどうか、これらのどちらのエネルギー源が優勢なのか、これらのエネルギーが実際どのようにガスの熱へと変換されるのかは、ガスの運動速度や方向が正確に測定されていないことから、いまだに分かっていません。

山口 弘悦 准教授
M87銀河の中心部分。チャンドラX線観測衛星(左)と、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT, 右)により撮影。EHTの画像では、銀河の中心にある超巨大ブラックホールを取り囲むガスが確認できる。チャンドラの画像では超巨大ブラックホールを起源として噴出するジェットが確認できる。 (X-ray: NASA/CXC/Villanova University/J. Neilsen; Radio: Event Horizon Telescope Collaboration)

「M87銀河はおとめ座の中心方向にあり、イベント・ホライズン・テレスコープが撮像した画像からわかるように超巨大ブラックホールを有しています。」山口准教授は説明します。「この領域ではジェットが噴出しているかのように見えますが、その速度が測定されたことがないため、これが本当にブラックホールの活動に関連するものなのか、いまのところ確証を得ることができていません。ですがXRISMではジェットの速度を測定することによって、その起源や銀河団ガスに流入するエネルギー量がどれだけあるかを知ることができるのです。」

ガスの動きを確認することで、銀河団を構成する銀河が源となって生み出すエネルギー、そして銀河団内の全エネルギー量の特定が可能となります。銀河の生み出すエネルギーを特定できれば、銀河の中でのガスの動きを理解するのに役立ちますが、それは銀河の中でガスが崩壊して星を形成する時間スケールを把握することにつながります。一方で、銀河団内のエネルギーのほとんどは、その”重力の井戸”へ引き込まれるガスの乱流運動からなるものです。したがって銀河団全体のエネルギー収支に注目すると、どれだけのガスが銀河団に注ぎ込んだのかを推測することができ、宇宙最大の構造である銀河団がどのように形成し進化してきたのかをよりよく理解できるようになります。

XRISMが開発されるまで銀河団のエネルギー源を調べることが難しかった理由の一つに、銀河団の巨大さがあります。数千万光年も広がった空間に散在する何百、何千もの銀河を持つ銀河団は、X線という波長域での放射源です。以前のX線望遠鏡では、ブラックホール近傍のような小さな天体(コンパクト天体)からのX線を調べることはできましたが、このように拡がった放射源を調べるには異なる設計により装置を開発することが必要です。

数百の銀河が集まる銀河団、XLSSC006。その質量は太陽の500兆個分に相当する。紫色はESAのX線観測衛星、「XMM-Newton」により捉えられたX線の光。「カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡」が観測した光学・近赤外線のデータからは、銀河団の中心や周辺に銀河が分布する様子が分かる。 (詳細:欧州宇宙機関(ESA)ウェブサイト)(ESA/XMM-Newton (X-rays); CFHT-LS (optical); XXL Survey)

X線分光撮像衛星(XRISM)には、撮像器「Xtend」と高分解能分光器「Resolve」の2つの望遠鏡が搭載される予定です。分光法とは、放射強度を波長ごとに測定する技術のことです。分光法こそが、ガスの運動速度についての知見を与えてくれる、鍵となる観測方法なのです。

ガスが銀河団の中を移動し、地球から見て近づいたり遠ざかったりすると、そこから放出されている放射線の波長がそれぞれ短く、または長く変化します。よく知られた類似の現象として、救急車のサイレンの音が自分に近づいてくるときと遠ざかっていくときでピッチが変わって聞こえることを挙げることができます。このドップラーシフトと呼ばれる現象を利用すると、ガスの動きを明らかにし、ジェットの発生源も推測することができるのです。

音(例えばサイレン)や放射線の波長は、発生源と観測者の距離が近づくときまたは離れていくときに変化(シフト)する。ドップラー効果と呼ばれている。

XRISMに搭載される分光装置「Resolve」望遠鏡は、41 – 1 Å(オングストローム)間のX線領域で波長ごとに強度を測定することができます。オングストロームとは長さの単位で、1 Åは100億分の1メートル、0.0000000001メートル、0.1ナノメートル。これを光子エネルギーに換算すると、0.3 – 12 keV (ケブ、キロ電子ボルト)となります。高感度を実現するために、Resolveは液体ヘリウムと機械式冷却器により絶対温度で0.05度以下にまで冷却されます。液体ヘリウム漏れなどの問題が起きた場合のため、別の機械式冷却器も用意されています。機械式冷却器は立ち上げには時間を要するため、観測に費やす時間を優先することを考えて極低温ヘリウムに次ぐバックアップという位置づけですが、万が一に備えての確実なバックアップでもあります。

同じ狙いを持つ望遠鏡は、打ち上げ後わずか1か月で残念ながら制御不能なスピンにより衛星そのものを失うという悲運に見舞われたASTRO-H でのみ、実際に宇宙空間での観測を行いました。XRISMに搭載される新しい“目”で、私たちはついに宇宙の姿をじっくりと見ることができるのです。

「XRISMのように観測ができる装置はこれまでにありませんでした」山口准教授は話します。

JAXA筑波宇宙センターで行われたXRISMの熱真空試験。スペースチャンバーは、軌道上の真空・温度環境を模擬できる試験設備。(JAXA)

XRISMの能力が発揮されるのは銀河団だけではありません。私たちのいる天の川銀河の中に、もう一つターゲットとなる天体があります。XRISMの目は、巨大な星の残骸に向けられることになります。星はその生涯を通じて、水素などの軽い元素を融合しヘリウムのようなより重い元素を生成します。しかし、鉄のような重元素は、巨大な星がその生涯の最期に近づいた時期にその深部において、あるいは、いわゆる星の死である超新星爆発が起きた際にしか合成されません。超新星(爆発により明るく輝いている天体)から放出された重元素が宇宙の物質的多様性を豊かにしていて、豊富な鉱物の存在や地球上の生命の存在を可能にしているのです。XRISMは超新星残骸の中の元素分布を調べ、それを包む銀河や銀河団での元素分布を調べることで、重元素の生成過程や、それらが宇宙全体にどのように広がっていったかを理解することができます。

「XRISMは3つのスケールで宇宙を見ることができます」山口准教授は説明します。「私たちのいる銀河の超新星残骸、銀河全体、そして銀河団です。このことから、超新星イベントで豊富に重元素が生まれることを確認し、これらの源から輸送されて、宇宙全体が様々な物質で豊かになったメカニズムもわかるようになるでしょう。」

このXRISMからの成果に特に注目しているのがATHENAミッションチームです。ATHENAは欧州宇宙機関(ESA)が主導し、2030年代に打ち上げを予定しているX線望遠鏡ミッションです。将来的にXRISMから得られる知見が、ATHENAの科学的研究をデザインしていく上でとても貴重なものになるでしょう。

「XRISMはおそらく多くの興味深い問題を発見することになると思いますが、」山口准教授はこのように話します。「それはATHENAがやるべき宿題となり得るということですね」

XRISMはNASAとの共同プロジェクトであり、ESAや国内外の大学・研究機関などの国際協力により実施されています。JAXAのHII-Aロケットで種子島宇宙センターから、来年度の打ち上げを目指しています。私たちは今までと全く違う宇宙の姿を観る手段を手に入れることになるでしょう。

(文: Elizabeth Tasker/ 訳:磯辺真純)


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