再生への道のり:「XRISM」におけるNASA・ JAXAの協力の形

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今年9月に打ち上げられたX線天文衛星「XRISM」(くりずむ)は、コミッショニング・フェーズを経るといよいよ宇宙望遠鏡として初めての観測(ファースト・ライト)が待たれています。XRISMは科学者たちが40年にわたって宇宙への投入を試みてきた宇宙望遠鏡であり、JAXAとNASAが協力して準備を進めてきた再生ミッションです。ミッション立ち上げの現場にいたNASAの関係者に、当時の話を聞くことが出来ました。

X線分光撮像衛星(XRISM)宇宙空間での想像図.

マーク・クランピン(Mark Clampin)氏がその報せを耳にしたのは、ベネツィアでゴンドラ漕ぎのレッスンを受ける娘を見守っていた時のことでした。

「運河沿いの道を歩いていたところ、電話がかかってきました。」

現在NASAで天体物理学部門のディレクターを務めるクランピン氏は当時、ゴダード宇宙飛行センターの科学・探査担当ディレクターでした。電話は日本が主導していたX線天文衛星ASTRO-Hの米国側主任研究者であったリチャード・ケリー(Richard Kelley)氏からでした。その前月JAXAにより打ち上げられたこの天文衛星は、ゴダードで開発された分光器を搭載していました。この分光器とは、NASAが40年にわたって宇宙への投入を試みてきた機器でした。

「この分光器は当初、X線観測衛星『チャンドラ』(Chandra)に搭載されることが1980年の搭載機器選定において決まっていました。」NASA科学部門副長官付 上級顧問のポール・ハーツ(Paul Hertz)氏が当時を振り返ります。「ですがその後、チャンドラは撮像ミッションと分光ミッションに分割されました。今私たちがチャンドラと呼んでいるものは撮像ミッションの方です。」

NASA 天体物理学部門ディレクター 、マーク・クランピン(Mark Clampin)氏(NASA).

チャンドラX線観測衛星は1999年にNASAによって打ち上げられました。24年目となる現在でもチャンドラは世界で最もパワフルなX線撮像望遠鏡であり続けていますが、当初はもっと大規模の望遠鏡として設計されており、その後予算の制約により2つの別々のミッションに分割せざるを得なくなりました。

「『そんなことをしたらいつまで経っても分光ミッションが出来ないじゃないか!』と私は言ったんです。」NASAの前・科学部門副長官のジョン・グランスフェルド(John Grunsfeld)氏は、その複雑さや費用の問題からミッション設計自体を二つに分割する必要が出たことを知った、ワシントンでのある寒い日を思い起こしてこのように話します。「予算がつかないと予想できたし、実際にそうなりました。」

X線観測衛星「チャンドラ」の宇宙空間での想像図 (NASA/CXC & J. Vaughan).

X線 ”撮像” 器は検出したX線から画像を生成しますが、X線 ”分光” 器はX線のさまざまな波長における強度を測定します。得られたデータをグラフにプロットすることで「スペクトル」と呼ばれる図が出来ます。プロット内の鋭い山型の部分はある特定の波長でX線が強く出ていることを意味し、「輝線」と呼ばれます。宇宙でX線はきわめて高温のガスから放出されていますが、スペクトル内の輝線をみることでガスの動く速度や化学組成を明らかにすることが出来ます。

チャンドラのために計画されていたX線分光器は、他のX線分光器と比較して波長が長めのX線、いわゆる「軟X線」を検出するよう設計されていました。軟X線分光器は銀河団内部の高温ガスなどといった空間的に広がった構造から出るX線に対して特に高い感度を有します。これは、これまでどの機器でもされていなかったアプローチです。

チャンドラX線観測衛星の計画が縮小された後、NASAとJAXA(当時は宇宙科学研究所であったが、その後、JAXAとして統合したのでJAXAと表記する)は協力体制を組みました。JAXAは当時5番目のX線天文衛星を計画しており、この新たな衛星に搭載する軟X線分光器の設計をNASAに依頼しました。しかし、打ち上げ直後にロケットの異常により衛星が失われる事故に見舞われ、両チームは再建を余儀なくされました。その後X線天文衛星「すざく」が2005年に打ち上げられると約10年にわたり運用されましたが、一つだけ問題がありました。打ち上げ後間もなく熱制御システムに不具合が発生し、分光器に必要な極低温の環境が失われる事態となってしまったのです。

「ミッションを撮像器だけで続けなければならなくなりました」ハーツ氏は当時を振り返ります。「『すざく』はたくさんの素晴らしい撮像観測を行ってくれましたが、高分解能での分光観測は実施されることがなかったのです。」

2016年2月、JAXAは「すざく」の後継としてX線天文衛星 ASTRO-H を打ち上げました。そして今回は、ASTRO-Hが巨大なペルセウス座の銀河団から降り注ぐX線を観測することで、軟X線分光検出器として初めての観測を行うことが出来ました。

「このひとつのスペクトルを見た人は全員、心を揺さぶられました」クランピン氏は話します。「観測データの質の高さにです。そして多くの輝線を初めて高い解像度で観測できたという事実にも!」

その後、ASTRO-Hには異常事象が発生。2016年3月26日、ASTRO-Hは制御不能のスピン状態に陥り、機体が破断されました。

「リッチ(リチャード)・ケリー氏から電話が来たのです。」クランピン氏はこう話します。「彼は、衛星がいくつかの破片となっているようだとの報告を受けた、とだけ話しました。」

パートナー

NASA科学部門副長官付 上級顧問ポール・ハーツ (Paul Hertz) 氏(NASA).

その週の終わりまでにはASTRO-Hの探査機の一部が分離・破断したことが明らかになり、その後機能回復することが期待できないと判断されました。残された課題は、次に何ができるかということでした。常田佐久 宇宙科学研究所長(当時)は米国へ向かいました。JAXAは軟X線観測に特化した新しいX線望遠鏡を開発してX線分光器を宇宙に打ち上げ直すという新生ミッションを検討していました。ですが、果たしてNASAはまたJAXAのミッションに参加してくれるのでしょうか。

「常田教授ご自身が提案書を持って訪問してくださったことは、私たちにとって本当に大きな意味がありました。」2022年までNASAの天体物理学部門でディレクターを務めたハーツ氏はこのように話します。「こういった国際協力というものは、ご存知の通り、観測機器を提供したら終わりというわけではないのです。人間関係を構築したり協力関係を作る場面は多くあります。常田教授がじきじきに提案書を持って訪問してくださり、JAXAにとってこのミッションがどれだけ重要かだけでなく、教授自身にとっても再生ミッションがとても重要で、そのためにはNASAの協力がいかに必要かという説明をしていただきました。そして常田教授が私たちに、協力できないか、と尋ねてこられたのです。これはとても意味のあることでした。」

ただ、新たに軟X線分光器を作るということは大きな仕事であり、いかに強い国際協力関係があったとしてもそれだけで物事が進むわけではありません。一方JAXAでは、予算日程を睨みつつ日本政府に提出する新たな提案書の作成を進めていました。

「日本政府に向けた提案書の提出に関しては、常田教授が前のめり気味なスケジュールを提示したので、私たちはきわめて迅速に検討する必要がありました。」ハーツ氏はこう話します。「なので迅速に行動に移し決定しました。」

慣例上、NASAの新しいミッション計画は米国の学術機関National Academies of Scienceに提出されると、その下にある天文学 / 宇宙物理学委員会がその計画の科学的優先度について助言することとなっています。但し時間が無い場合、NASA内の諮問システムを通して助言を求めることも可能です。最初はNASAの天体物理学小委員会。そこからNASAの科学委員会に内容が引き継がれると、委員会は科学全般の広い視点から計画を検討することになります。計画の承認がうまく進んだ場合はNASAの諮問委員会がサイエンス、有人宇宙飛行、航空、国際宇宙ステーションなどすべてのNASAのプログラムの可能性を検討したうえで、NASAの長官に助言を行います。

軟X線分光器「Resolve」(りぞるぶ)の心臓部である6×6画素のマイクロカロリメータアレイがどのように機能するかをわかりやすく示した動画. 望遠鏡で集めたX線が検出器に当たると、入射したフォトン(光子)自身が持つエネルギー量に応じて加熱される. 絶対零度をわずかに上回る50ミリケルビンまで冷却された装置は、その微小な温度変化を検出することができる (NASA’s Goddard Space Flight Center).

「この時NASAは答えを出すまでに3つの壁を乗り越えなければなりませんでした。」ハーツ氏は説明します。「まずミッションのサイエンスに価値はあるのか、二つ目に予算内で進められるのか、最後にこのリカバリーミッションを確実に成功させるには何をすればよいのか、の答えを導き出すことです。」

最初の問いには、ASTRO-Hが捉えたペルセウス座銀河団の観測結果がYESの答えを与えてくれました。それまでのミッションが達成した感度や解像度を新しいテクノロジーが飛躍的に向上させたということを証明してくれたからです。このことに対する科学界の関心は依然高く、新しく立ち上がろうとしていたミッションが観測するX線を放出する高温宇宙ガスと同じくらい熱いトピックとして扱われていました。

米国議会から新たな予算が獲得できないことが分かっていたため、新しい機器の製作費用を獲得済みの宇宙物理学部門予算内に収めることができるかどうか、が予算の妥当性を判断する基準になっていました。ASTRO-Hの運用に必要な資金は確保されていたので、それを開発予算に回すことが出来ました。さらなる決定打の一つは、ASTRO-H搭載の軟X線分光器を設計したゴダード宇宙飛行センターのチームが機器製作のノウハウを持ったまま、まだ組織として残っていたことです。

「ゴダード宇宙飛行センターに強力なチームがあったことが、多くのことを動かしたんです。」グランスフェルド氏はこう振り返ります。「高い解像度でX線分光観測を可能にするマイクロカロリメータ技術を維持するためにもチームは残しておきたかった。私たちは、日本が重要なパートナーであり、またこの分野では米国がリードしていることを主張することが出来ました。」

ゴダード宇宙飛行センターのチームは、軟X線分光器の再構築にかかる費用の見積もりを依頼されました。

クランピン氏はこう話します。「ゴダードにいると、ポール・ハーツ氏から電話が来ました。またやるぞ。同じものだ。新しい試みは不要。同じものを作ってくれればいい、経費はこれこれ、と。」

最初にゴダード宇宙飛行センターのチームが出した見積額は却下されました。ハーツ氏は、大成功を収めていた設計と同じものとしてコストを抑えるように、と強く念を押しました。

「科学者の根底には、何かを作るときに2度目のチャンスが訪れると改善するために何かしたくなる傾向があると思っています。」クランピン氏はこう話します。「そして、開発中に行う試験のやり方でも新しいもの、よりやり易かったり、より多くの情報が得られたりものを提案したくなります。」

NASA 前・科学部門副長官、ジョン・グランスフェルド(John Grunsfeld)氏 (NASA).

ゴダードのチームは要素をひとつひとつ取り出し、研究室にあってまだ利用できるインフラの活用手法も参照しつつ、コストを項目ごとに確認していきました。その結果、利用可能な資金の範囲内で計画が成立しました。

3つ目の問いへの回答は、さらに難しいものでした。NASAとJAXAは次の再生ミッションを確実に成功へと導くために何をしたら良いのでしょうか。

「宇宙探査とはとても難しいものだと私は考えています。」グランスフェルド氏はこう話します。「プロジェクト開発段階では、悪いニュースというものは無い、と考えます。たとえ何か検証試験に失敗したとしても、その報告は悪いニュースではなく単なるニュースであると考えるべきです。」

グランスフェルド氏の豊富な経験上、ミッションにおいて発生する問題の多くは、打ち上げ前に探査機のソフトウェアやハードウェアのバグを取り除くため行われる、数えきれないチェック作業や試験などの「ミッションアシュアランス(保証)」過程において検出されるものだということです。NASAはこの活動に十分な時間を投資することが効果的であることを把握しており、自分たちが高い専門性をもって貢献できる領域であるとも考えていました。

「再生ミッションにおいて、私たちはこのミッションアシュアランスの仕事で貢献したいと考えました。」グランスフェルド氏は説明します。「これはNASAが得意とする分野だからです。」

ASTRO-HでNASAは軟X線分光器を開発しましたが、ミッション開発における他の分野では関与しませんでした。軟X線観測に特化した新たなミッションを成功させるために、NASAは両宇宙機関からなる共同チームがミッションのあらゆる面でのシステムエンジニアリングを担当しプロジェクトの成功に共同で責任を負う、ということを提案しました。結果は、JAXA、NASAのそれぞれのミッションのやり方が統合されてXRISMに適用されることになりました。

「NASAのチームとJAXAのチームはとても強固な関係を築きました。連携も素晴らしかったです。」ハーツ氏はこう話します。「『ここからは私の任務だから近づくな』と一線を引くような人はいませんでした。常にオープンな情報共有や人間関係が維持され、誰もが周りの人の経験から学ぶことが出来るような環境で、仕事を始めることが出来ました。」

両チームの結束力が特に価値があるものだということが認識されたのは、新型コロナウィルスの世界的流行が起きた2020年、海外への渡航が制限された中でも開発を続けなければいけなかった時でした。

軟X線分光器「Resolve(りぞるぶ:英語で解像や解決などの意味)」を衛星へ搭載している様子.

閉ざされた国境を越え、開かれた仕事を

再生ミッションがNASAで承認されると、日本と米国で新たなX線望遠鏡の開発が始まりました。再生ミッションは「X線分光撮像衛星 『XRISM』(くりずむ)」と名付けられ、軟X線分光器は「Resolve(りぞるぶ:英語で解像や解決などの意味)」、X線撮像器は「Xtend(えくすてんど:extendは英語で拡張、展開などの意味)」 とそれぞれ名付けられました。

NASAとJAXAの両チームは緊密に協力していることは、日米間の移動がこれまでよりはるかに多くなる恐れがあるということでもありました。恐れと言うのは、家族と長期間離れることは科学者たちにとって精神的につらく、さらに米国政府関係の職員は海外滞在期間に関する規制があったことから手続き面での負担も大きいためです。そこで両チームは、海外からも開発中のハードウェアを遠隔監視できるよう設備を充実させることにしました。これにより新型コロナのパンデミックで国境が突然封鎖されることとなった時も、XRISMの開発はそれまで通り米国および日本で継続することが出来ました。ただし、リモートワークの設備は整っていたとは言え、ミッションにとっては厳しい時期ではありました。

JAXA筑波宇宙センターにて、軟X線分光装置(Resolve)のキャリブレーション作業が行われる様子.

「新型コロナウィルスは多くのことを台無しにしましたが、XRISMには、とてもとても悪いタイミングでのパンデミックだったことは確かです。」ハーツ氏はこう言います。「ですが、リモートでタスク実行するためのテクノロジーがこの10年間で大きく進歩し、XRISMではゴダードから作業を継続できるよう体制を整えてありました。そのため、新型コロナウィルスが蔓延したときも、私たちは可能な限りリモートワークを行う準備が出来ていたと思いますし、問題もなかったです。ある不具合が起きるまでは・・」

探査機の完成が近づきましたが、遠隔地からでは対処できない、ある問題が発生しました。軟X線分光器を冷却するための装置から液体ヘリウムが漏れたことが確認されたのです。大きな問題ではなかったものの、原因を突き止めるためにはNASAから提供されたフィルターを一時的に取り外す必要がありました。これはNASAの中でも数人しか対応することのできない極めてデリケートな作業であり、日本側でフライトモデルに手を出すなどということは出来ませんでした。唯一の解決策は、アメリカのチームが国境を超えることでした。

「ロックダウン後、NASAで許された初の海外出張でした。」ハーツ氏は回想します。「渡航承認までのプロセスを整える必要がありました。米国政府の最高レベルまで行きましたよ。」

日本も海外からの渡航者に対して事実上の国境封鎖状態であったことから、チームが日本に渡航するために日本政府に対しての特例措置を求める必要もありました。

「渡航の承認を得ることは、NASAにとってこの国際協力関係がいかに重要であったかを示すものでした。」ハーツ氏はこう話します。「両国ともに、コロナのパンデミックのピーク時にあって渡航制限ルールに例外を設けたことで、その重要性を認めたのだとも言えます。ただただ素晴らしかったです。」

遠征チームの安全対策も万全にしました。JAXAに到着すると作業はクリーンルームで行われ、作業員は全員がクリーンルーム専用のバニースーツ(機密作業服)を着用します。これは探査機を汚染から守るだけでなく、研究者自身をウィルスから守るという利点もありました。ただし、JAXAにたどり着く以前にもNASAの科学者たちはPPE(個人用防護具)で対策をして飛行機に乗ったり、日本に到着すると今度は他の研究者らとは離れて、かつ、JAXAの敷地からは出ることなくずっと過ごさねばなりませんでした。

「これが協力関係の強さを試す”耐久試験”だったとして、世界中でパンデミックが起きる中で探査機を作ろうとすることほど最悪の試験はないでしょうね。」こう話すのはクランピン氏です。「しかも検疫にかかわるルールや規制のため、時には家族と離れて長く過ごす必要もあった中、皆見事にやり遂げました。私はこういった中で機器を完成させた日米両チームの努力を高く評価します。」

X線分光撮像衛星(XRISM)および小型月着陸実証機(SLIM)は、H-IIAロケット47号機(H-IIA・F47)により、種子島宇宙センターから2023年9月7日8時42分11秒(日本標準時)に打ち上げられた.

再生

XRISMは2023年8月下旬に打ち上げられることとなっていました。ただ、ロケットの打ち上げでは珍しいことではないのですが、天候の回復を待つために打ち上げは延期されました。この打ち上げ日時の再設定は、視察者にとっては残念なニュースでした。国境が再び開かれた今、クランピン氏、ハーツ氏、グランスフェルド氏の3名は、40年かけて実現されようとしている宇宙望遠鏡の始まりの瞬間が見られることを期待して日本を訪れました。ですが残念なことに、天候が回復する前に米国に戻らなければなりませんでした。

「1週間滞在しましたが、だめでした。」グランスフェルド氏は残念そうに語ります。「富士山には登りましたが。実は2回目でした。1回目は1981年、日本に住んでいたころに登ったことがあるのです。午前2時に山頂に着いて日の出を見ました。」

グランスフェルド氏は大学生の頃からX線天文学に携わってきました。若手研究者として日本にいた頃には日本で最初のX線天文衛星「はくちょう」が観測したデータを研究していました。そして今回は、7番目のX線天文衛星がX線観測にたどり着く手助けをしました

2023年9月7日、XRISMは無事打ち上げられました。HII-Aロケット47号機により日本の種子島宇宙センターから地球を旅立った探査機の現在の運用は正常で、衛星搭載機器や機能を確認するコミッショニング・フェーズと呼ばれる期間に入っています。

「私たちが息をのむようなものをXRISMが最初の年に見せてくれるのは間違いないでしょう。」ハーツ氏はこう話します。「そしてそれ以降、2番目、3番目、4番目…と続くにつれ、私たちは少しは落ち着いて、XRISMの観測とは何であり、この観測結果からどういう進化が学問にもたらされるのかを考え始めると思いますが。最初に見るものには、ただただ驚かされるだけとなるでしょう。」

(文: Elizabeth Tasker/ 訳:磯辺真純)


関連リンク:

X線分光撮像衛星「XRISM」ウェブサイト
XRISM 公式X/twitter

Cosmosブログ: X線分光撮像衛星XRISMー打ち上げを前にー宇宙最大の天体について何が分かるのか? 

Cosmosブログ(英語記事): Completing the homework ASTRO-H left us

ウェブリリース(ASTRO-H) 2016年7月7日: 意外に静かだったペルセウス座銀河団中心の高温ガス