究極の答えを求めて
宇宙科学における驚異的な進歩の原動力とは―NASAでの42年を経てジム・グリーン氏が語る

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「42年です。42でなければならなかったんです、なぜならそれが答えですから!」

ジム・グリーン(Jim Green)氏は1980年にNASAのマーシャル宇宙飛行センターに職を得ました。グリーン氏はそのキャリアの間に、巨大太陽嵐(スーパーソーラーストーム)を発見し、ハッブル宇宙望遠鏡を修理するための宇宙飛行士の水中訓練を支援し、24以上のミッションに携わり、さらにはNASA惑星科学部門の責任者を歴代で最長期間務め、その在任中に部門の予算を倍増させました。42年をこの世界最大の宇宙機関で過ごし、2022年に退職しました。

ジム・グリーン氏 (NASA/Carla Cioffi)

42という数字が意味するものはSF作品「銀河ヒッチハイク・ガイド」のファンであればすぐ分かると思いますが、スーパーコンピュータが「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問」に対する答え、として導き出した不思議な数字です。自身の現役期間に宇宙科学が驚異的に進歩した原因についての”究極の答え”は何でしょうとグリーン氏に尋ねれば、非連続的な、破壊的な技術進歩と答えるでしょう。

破壊その1:SPANネットワーク

国際太陽地球系探査機3号「ISEE-3」は1985年、それまで太陽風と地球の磁場の相互作用を調べていた軌道を離れ、深宇宙へと向かう指令を地上から受信しました。探査機は複雑なマヌーバを繰り返しながら、ジャコビニ・ツィナー彗星をとらえ、その尾部を通過します。これは探査機による彗星への初の接近遭遇で、生中継で放送することへの圧力は高まっていました。

「彗星の尾部を飛ぶミッションをどうやってリアルタイムでやるのだ?」グリーン氏は疑問に思ったと言います。「だって、受信するデータは1か月前に取得されたものなんだよ。」

そのころ、NASAジェット推進研究所の記者会見ではボイジャー計画で探査機が訪れた太陽系の外惑星の画像がフライバイ直後に公開されるなど、世の中の期待も高まっていました。ですが、のちに国際彗星探査機「ICE」と改名され運用されたISEE-3の状況は、より複雑でした。このミッションはNASAと欧州宇宙機関(ESA)との共同ミッションでした。探査機からのデータはNASAのディープスペースネットワークが受信し、米国バルチモアにあるゴダード宇宙飛行センターへ転送されます。一方で、そのデータ解析はドイツのダルムシュタットにある欧州宇宙運用センターで行われていました。データは、テープに記録したうえで、テープ実体をヨーロッパへ郵送で送る必要があり、今のようにすぐにできることではありませんでした。また、ゴダードでは解析を行うことができません。

「当時は皆それぞれが違うコンピュータを扱っていました。」グリーン氏はこう説明します。「ですから、すべてのプログラムを一か所で実行できる可能性は皆無。生中継はもうやめよう、絶対無理だ、と言いました。どうしても欧州にいったんデータを渡す必要がありましたから。」

そこでグリーン氏の考えたことは、もしかするとミッションそのものよりも大胆なものだったかもしれません。彼はNASA本部を説得し、NASAとESAをつなぐ初の大西洋横断データネットワークを構築し、データのデジタル送信を可能にしたのです。

グローバルなインターネットができるのは何年も先という頃に、グリーン氏のおかげで、NASAは独自のインターネットを持つことになりました。グリーン氏は1980年にマーシャル宇宙飛行センターに入社したのち、SPAN(Space Physics Analysis Network = 宇宙物理解析ネットワーク)というネットワークを立ち上げて協力機関間で研究者がデータを迅速に共有できるようにしました。グリーン氏はSPANをESAのダルムシュタットの運用センターと、続いてICEミッションに関わる他の欧州のグループとつなぎました。

この初期のネットワークでは、コンピュータへのリモートログオン、電子メールやファイル転送の機能はありましたが、NASA自身の内部でもまだ広く浸透しているわけではありませんでした。そのためICEから届くデータはゴダード宇宙飛行センター内のあるビルにおいて受信されると、そこでデータテープに記録され、別の建物に持ち込まれてから、ネットワークにアップロードされてESAに送信されました。

国際太陽―地球探査機「ISEE-3」は、のちに彗星探査機「ICE」として運用された。初めて彗星尾部を通過した探査機で、ジャコビニ・ツィナー彗星に続きハレー彗星も近距離で観測した(NASA)。

「今でこそ皆がユビキタスネットワークに慣れ親しんでいますが、始まりはこういうものだったのです。」、グリーン氏は説明します。「ネットワークがないと思って考えることをしなければなりません。どうやってネットワークに上げるのか?最初にやることは何か?を考えるのです。」

ICEミッションデータの解析はESAで行われ、最終的な結果をドイツからNASAに送信するのにもSPANネットワークが使われました。探査機がジャコビニ・ツィナー彗星に遭遇して数時間後、記者会見が行われました。ボイジャーが外惑星に遭遇した際のものと同じように迅速に、ただしデータは遠隔地のコンピュータで解析された結果を用いて、記者発表が行われました。

今でも彗星の尾部を通過した探査機はICEただ一つです。ICEは彗星尾部を通過した際に、太陽風の磁場が太陽風と彗星との相互作用によって引き延ばされるように変形された結果を観測しました。探査機自体はもともと地球の磁場を観測するために設計されていたことから、ICEがこういった観測をうまくやったのは当然でした。


番外編: 巨大太陽嵐(スーパーストーム)の発見

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「運用中のミッションに新しいテクノロジーを活用した結果、彗星に行く初めてのミッションとなりました!」グリーン氏は振り返ります。「その仕上げに、報道発表はしていませんでしたが、大西洋横断のネットワークを構築していたのです。このNASAと ESAとの通信線はそのまま稼働し続けました。」

日米共同プロジェクト 磁気圏尾部観測衛星Geotail(ジオテイル) (JAXA)。

1987年、グリーン氏は当時の文部省宇宙科学研究所(ISAS)(JAXAは2003年に3機関の統合により設立)もこのネットワークに追加しました。迅速なやりとりが可能になり、この中で始まったものがのちに「Geotail(ジオテイル)」というミッションにつながりました。1992年に打ち上げられたGeotailは、太陽風によって太陽の反対側へと引き延ばされた地球磁気圏の尾部領域を探査しました。30年以上にわたる日米共同運用を経て、2022年末にミッションは運用を終了しました。

「GeotailはSPANネットワークがなくても立ち上がったかもしれませんが、その場合もっと大変だったでしょう。」グリーン氏は話します。「宇宙機関同士が協力しあう時代になりつつあった頃だと思います。ただ、アメリカで機器を組み立て、日本で探査機に統合し、間違いや課題を見つけて、飛行機で往復する・・機器を海外で組み立てるということは信じられないくらい大変だったのです!」

共同ミッション設計の多くのステップは、NASAとISASのネットワークにより米国の研究者が日本のコンピュータにリモートログインして必要なプログラムを実行し、機器の性能を確認することなどにより、迅速に行うことが可能になりました。

1992年にはロシアの宇宙機関もコンピュータネットワークに参加しました。1990年代半ばには、ネットワークの通信プロトコルがDCMPから現在おなじみのTCP/IPに変更され、SPANは成長著しいグローバルインターネットと融合しました。

グリーン氏はこのようにまとめます。「科学が爆発的に発展した鍵はSPANが握っていました。今ではカイパーベルト天体からメジャーな惑星、小惑星まで一通り、太陽系の初期探査を完了しました。彗星にも行きました。太陽も探査しました。ハッブルのような大きな宇宙望遠鏡も打ちあがっています。ですが1980年には、私たちはまだまだやるべきことをたくさん抱えている状態だったのです。例えば、水星周回探査は未着手でした。」

破壊その2:ハッカーキャッチ

オンライン化することにはリスクがなかったわけではありません。1984年、グリーン氏はNASAのネットワークをハッキングした学生の集団を特定しました。

「全米のニュースになりました!ABCの夜のニュースでピーター・ジェニングスが、NASAのネットワークがハッキングされた、と報じていました。」グリーン氏は思い返します。「その翌日、私はマーシャル宇宙飛行センター所長のビル・ルーカスのオフィスに呼ばれました。彼は私に対してかんかんに怒っていましたし、今にもネットワークを切断しそうでした!」

学生集団は、電話線を経由してインターネットに接続する際にモデムが示す特有の信号音が聞こえるまで、マーシャル宇宙飛行センターのあらゆる電話番号をダイヤルしたといいます。そして、今では考えられないほどの衝撃的なセキュリティ管理ですが、この頃、このタイプのコンピュータではすべて共通で使われていた管理者ログイン用のユーザーネームとパスワードがあり、それを用いて学生集団はログインに成功しました。

同じころグリーン氏はSPANにログインし、ネットワークにつながれたマーシャル宇宙飛行センターのコンピュータのうち、自分の研究の計算を行うのに十分な空きメモリがあるものはどれであるかを確認しようとしていました。そのうち一つのユーザー数を調べていたところ、システム管理者がログインしていることに気が付きました。ですがマーシャル宇宙飛行センターのシステム管理者はその時休暇を取り、ジャマイカにいました。

「ジャネットが仕事以外の時間、しかも長期休暇中に業務に関することをするわけがありませんでした。」グリーン氏は振り返ります。「その時は・・まさかジャネットが?いや、そんなわけない!何か変だ!と感じていました。」

マーシャル宇宙飛行センターでハッキングされたものと同タイプの DEC PDP-11/34 コンピュータ (wikipedia)。

グリーン氏はシステム管理のログイン履歴からモデムまでたどり、これがハッカーであるとの疑いを裏付けました。彼はマーシャル宇宙飛行センターへこれを報告すると、FBIへと通報がされました。犯人が特定されるまでの数週間はグリーン氏がネットワークを監視して不正な接続を特定、報告しました。それまでに、学生集団はほかの数台のコンピュータや、通信事業者であるAT&Tへのハッキングもしていました。

「『ウォー・ゲーム』という映画が公開されたばかりでしたが、」グリーン氏が思い起こすのは、ティーンエイジャーが政府の防衛ネットワークにハッキングして核戦争を引き起こす危険をまねく、という内容の映画です。「私たちの置かれた環境はまさにそれでした。」


番外編:ダイビングでハッブルを救え

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ネットワークをシャットダウンしなければいけなくなる恐れから、グリーン氏はNASAとして初のセキュリティ対策チームを立ち上げました。このグループは10年間で36のハッカーを特定し、その多くが検挙されるに至りました。

「私は科学者なのか?技術者なのか?それともITの人なのか?と思うことはあります。」グリーン氏は笑います。「要するに、自分の研究をするためにどうしても必要だったから、やるしかなかったのです。」

破壊その3:ワールド・ワイド・ウェブ

1990年代初め、グリーン氏はNASA宇宙科学データセンター(NSSDC)の責任者に就任しました。その頃のNASAにはSPANネットワーク上で科学者が迅速にアクセス可能な、約1テラバイトの衛星データのオンラインアーカイブがありました。しかしNSSDCの客員教員が出したアイデアは、NASAに関する情報が人々にとって真に身近なものとできるやり方があることを示していました。それはワールド・ワイド・ウェブ(WWW)に参入することでした。

「ワールド・ワイド・ウェブで私たちは200番目でした!そのころ、なんとまだ200のウェブページしかなかったんです!」グリーン氏は思い返します。

数年後にはNASAの別の拠点でもウェブサイトを作り始めたことから、グリーン氏は “www.nasa.gov” というアドレスを購入しNASAのメインページとして立ち上げ、そこから各部門やセンターへとブラウズできるようにしました。この体制が整ったことで、NASAの各拠点はオンラインコンテンツの拡充に着手しました。このことがNASAのワールド・ワイド・ウェブにおける存在感を高める契機となりました。

破壊その4:メタバースへ

遠隔地にある研究所間の最初のネットワーク接続からワールド・ワイド・ウェブに至るまでの発展は、グリーン氏が言うところの「破壊的技術」です。それはこれまで皆が当たり前としてきたやり方を一変させるものだからです。ネットワークがもたらした新たなつながりは新発見を爆発的に増やすということを繰り返し、成果を生んできました。そしてグリーン氏が目を付けている次の破壊的技術は、メタバースです。

ジム・グリーン氏が、NASA の火星探査ローバー「パーサヴィアランス」の機能をバーチャル リアリティで説明しているところ。

「私たち人類は再び月面に立ちます。」グリーン氏はこう続けます。「今回は、人々がお互いの横に居るかのような緊密な協働を通じてパートナー関係を築き、これを実現させます。」

NASAを退職後、グリーン氏はバーチャルリアリティーの世界で、世界中の学生を指導しています。約80名が学ぶグリーン氏の仮想教室は地球を周回する宇宙船の中にあって、設計には彼自身も参加したと言います。教室の床にはNASAの火星探査ローバー「パーサヴィアランス」の実物大模型があり、生徒は近くに集まって観測機器について学んだり、火星ヘリコプター「インジェニュイティ」が飛び立つのを見たりすることができます。 

「現在、宇宙ビジネスに参入しつつあって、アルテミス合意に署名している国はいくつかあります。」グリーン氏は説明します。アルテミス合意とはアメリカ、日本、そのほか18か国の間で結ばれた、”人類を再び月へ” の実現を目指す国際的な合意のことです。「一般の人にももっと宇宙に興味をもってもらいたいと、これらの国では思っているはず。ですから私はメタバースで教えているのです。」

「銀河ヒッチハイク・ガイド」の中で、究極の答えは42と算出したスーパーコンピュータが、これは究極の疑問に対する答えでありながら、自分よりさらに偉大なコンピュータが疑問そのものを導き出さなければならない、と説明しています。この偉大なコンピュータとは、実は地球だということがのちに分かります。

グリーン氏の42年は、究極の答えは地球上の人々をつなぐ様々な破壊的技術であり、それによっておよそ回答不可能だと思われる問題にも私たちが挑戦できるようになる、ということを教えてくれています。

(文: Elizabeth Tasker/ 訳:磯辺真純)


関連リンク:

磁気圏尾部観測衛星 GEOTAIL
マーシャル宇宙飛行センター(Marshall Space Flight Center) (外部リンク)
国際太陽―地球探査機「ISEE-3」/彗星探査機「ICE」International Sun-Earth Explorer-3 / International Cometary Explorer )(外部リンク)