
「恐怖の7分間」は過去のもの:次世代宇宙技術で火星着陸へ
2024年11月14日昼前、観測ロケットS-520-34号機が上空に向かって打ち上げられました。ごく短時間の飛翔でしたが、次世代の宇宙技術の実験が行われました。
同じ頃地上では、相模原キャンパスの宇宙科学探査交流棟で、次から次へと訪れる来場者が宇宙科学に関する技術開発の歴史をたどっていました。奥にある部屋の展示ケースの前では多くの人が立ち止まり、まるで空飛ぶ円盤のようにも見える4つのアイテムを見つめていました。傷あとが残る上下二つの部品はかつて宇宙サンプルコンテナを護っていた熱シールドであり、そのサンプルコンテナに加えて火工品によって放出されたパラシュートも入っていました。
これらの部品を組み立てると、地球の大気圏を高速落下する際に発生する空力加熱(高速で待機に突入する物体の周りの大気が断熱圧縮により高温になること)から「はやぶさ2」が採取した小惑星の粒子を護った再突入カプセルになります。黒焦げのシールド上には交差するギザギザの線がいくつもありますが、それは人類で初めて小惑星上の二か所で採取したサンプルを地球帰還させた証でもあります。ですが、山田 和彦(やまだ かずひこ)准教授は何か気がかりな様子です。
「火星の場合、これでは上手くいかないでしょう」山田准教授は考えながらこう話します。「火星の希薄な大気が十分なブレーキとして機能しないのです」
火星の大気は地球の大気の100分の1程度の密度です。火星のような薄い大気の場合、惑星大気へと突入する物体が経験することになるきわめて高温の空力加熱は軽減されますが、物体の降下速度を小さくする効果は地球に比べてはるかに劣ります。対応策は、パラシュートを大幅に大きくし、より多くの抵抗を生み出すことです。ですが、薄い大気中を物体が急速に落下するということはパラシュートを超音速の状態で開くという危険を冒さねばならず、さらに地表近くでは、安全なレベルまで減速させるためのスラスタの使用が必要となります。これらのことから、火星着陸シークエンスは火星探査のうちでも最も技術的に難しい部分の一つと考えられています。

この偉業を成し遂げたNASAの火星探査ローバーのチームでさえ、火星着陸を「恐怖の7分間」と言及しています。では、もし「恐怖の7分間」を回避でき、火星着陸探査を低コストで実現する軽量化のための全く新しい技術があったら、今後何がどう変わるでしょうか?
相模原キャンパスの交流棟の反対側、宇宙飛翔工学研究系の居室には円形の大きな膜構造の物体がありました。茶色の布地はシルクのように滑らかで軽い手触りで、外側にある浮き輪のようなインフレータブル(膨らますことが可能な)リングに向かって伸びています。一見するとビーチで楽しめるアイテムにも見えますが、この変わった”浮き輪”は新世代の大気突入装置なのです。
この「展開型柔軟エアロシェルを用いた観測ロケット実験データ回収モジュール」は「RATS」(ラッツ)と呼ばれています。RATSは「はやぶさ2」で使われたハードシェルが装備されたサンプルリターンカプセルに代わるもので、折りたたんで収納することができ、インフレータブルリングにガスを注入することで膨張させることもできる、柔軟性のあるエアロシェル(大気圏突入機体に働く熱や空気力を受ける外殻のこと)です。
「ロケットには小さな高圧ガスボトルを搭載しており、」RATSの開発チームを率いる山田准教授はこのように説明します。「エアロシェルを展開する必要があるときは、折りたたまれたエアロシェルの金属製カバーを外しガスボトルに穴をあけることによって浮き輪部分にガスを注入します。宇宙空間では周りが真空ですので、ガスを入れると急速に膨張することになります。」

宇宙で浮き輪を膨らますのは簡単なことでも、柔軟なエアロシェルが損傷しないようにするのは難しいことです。RATSの品質試験の中ではエアロシェルを何度も折りたたみ、圧力をかけ、振動試験を行ってから膨張させるまで、エアロシェル、特にインフレータブル部が破損しないことが求められています。エアロシェルの素材には、耐熱性と柔軟性、構造強度も大気圏突入に必要なレベルであることも求められます。
RATSは現在、高度が約300kmに達する宇宙環境で実験を行った後に洋上へと落下する観測ロケット実験において用いられています。観測ロケットが大気圏に再突入する前に膨らんだRATSが分離し、ふわふわと落下しながら実験データを地上まで安全に運んできます。
2021年の実験では、直径1.2mのRATSは洋上に落下して波間に浮かんでいるところを回収され、観測ロケットS-520-31号機から取得したデータが無事に持ち帰られました。RATSリターンモジュールの重さは5kgに届かず、浮力リングがあることで着水にも対応できます。膜面が大気中での降下スピードを緩めるため、追加のパラシュートは必要ありません。

また、惑星表面に輸送するペイロード(荷物)の質量に応じて、RATSのエアロシェルが展開されたときのサイズは適切に設計することができます。ペイロードが重くなるほど大気圏突入時の高速落下を避けるために大きなエアロシェルが必要となりますが、それにより大気中を通過する際に発生する空力加熱を軽減しペイロードが地面に衝突する際の力を減少させることもできます。その一方で、大きすぎるエアロシェルは構造的に弱くなってしまうので、これらのバランスをみながら設計する必要があります。
エアロシェルのサイズを調整することで、火星のように難易度の高い場合を含め、他の惑星にもRATSを着陸させることが可能になります。山田准教授は、いずれRATSを用いて火星に小型ランダーを届け、より軽量で低コストの火星探査への道を拓くことができることを期待しています。火星の薄い大気を効率的に活用するため、山田准教授のチームはより大きな直径2.5mのRATS-Lの実験を行いました。大型パラシュートの場合には低高度(かつ、高い大気密度)に到達するまでキャノピーを展開できないのですが、それと異なり、RATSエアロシェルは大気圏への突入前に膨らみます。高高度で展開することで薄い大気圏内でも減速させ激しい空力加熱を避けられるので、超音速でのパラシュート展開や着陸に十分な減速を行うための追加のスラスタなどの必要が無くなります。
「つまり、飛行中は何もしなくていいことになります」と山田准教授は話します。「自律シーケンスでありながら完璧な運用が求められる”恐怖の7分間”の代わりに、RATSの場合は着陸するまで待つだけ、ということになります。」

RATS-Lは観測ロケットS-520-33号機での飛行に成功し、無事に海洋に着水しました。現在RATSが運べるペイロードは数kg程度が限界ですが、今後の開発により耐熱性や強度などが向上すれば数十kg程度まで運べるようになるでしょう。ただし、NASAの火星探査車のような大型のものについてRATS単体で運べるかというと、何らかの技術的なブレークスルーか大きな設計の転換がないと難しい、と山田准教授は話します。
また、帰還時に地球大気圏へ超高速で突入することで生じる空力加熱が RATS には耐えられない程度であることから、深宇宙のサンプルを地球に持ち帰るのにも適していません。それには高温に耐えるよう設計され、かつ実績のあるカプセル形状、熱シールド、パラシュートのシステムが適切な選択と言えるでしょう。
「この二つのテクノロジーは互いに補完しあうものです。」山田准教授はこう説明します。「RATSは、着水する必要があって降下中にそれほど高速には達しないような観測ロケット実験や、大気が薄いことに伴う課題を解決する必要のある火星着陸探査に適したものです。」

2021年にRATSが観測ロケットS-520-31号機に搭載されて行った初の宇宙飛行は、将来の宇宙技術の実証だけにはとどまりませんでした。RATSは、回転(旋回型)デトネーションエンジンシステム(RDEまたはDESと呼ばれる)の、世界初となる宇宙飛行実証を記録したデータチップを地上に持ち帰るという実任務も果たしました。
回転デトネーションエンジンは、円筒形の燃焼チャンバ内の壁を高速で移動する衝撃波で入射されたばかりの新鮮な推進剤を次々と点火し、継続的に燃焼させていく仕組みです。この設計によりこれまでよりはるかに小型のロケットエンジンの実現が可能となって、宇宙探査への障壁が更に低くなることが期待されています。
この実験でRATSは観測ロケット飛翔の詳細を記録したデータチップを持ち戻りました。データからは、観測ロケットに搭載された固体燃料が燃焼を完了した後、正常にDESに切り替えられたことが示されました。大成功をおさめたDESには改造が加えられ、2024年後半には最新版の実験を行う準備が整いました。

観測ロケットS-520-34号機に搭載のDES2では、推進剤が従来のガスから液体燃料のエタノールと酸化剤の液化亜酸化窒素に変更されています。液体は密度がガスより高いことからより多くの推進剤をロケットタンクに積載できるため、これは大幅な改良点でした。ですが液体は自ら膨張する力はなく、宇宙空間ではタンクから燃料を押し出してくれる重力も弱いため、燃焼チャンバに推進剤をタンクから供給することはガスの場合よりも困難です。これを可能にするため、窒素ガスで加圧して液体推進剤をタンク底部に押し込み、そこでは推進剤と酸化剤は液体の状態を保ったまま燃焼チャンバに注入し、その後、混合されてデトネーション波によって着火される方式をとりました。
「DES2の開発はとても挑戦的でした。」DESシリーズ実験の代表者である名古屋大学の笠原 次郎(かさはら じろう)教授はこのように説明します。「液体推進剤をハンドリングする困難を克服するため、推進剤の供給系の設計を大きく変更しました。」
さらに、笠原教授のチームは燃焼機を二重円筒から単円筒に変更しました。単円筒ではデトネーション波は外壁に沿って移動します。これで設計をシンプルにできるだけでなく、内円筒の冷却という従来の課題も回避できます。S-520-34号機に搭載のDES2 は宇宙空間で液体推進剤を用いる世界初の実証実験です。

観測ロケットS-520-34号機は、2024年11月14日、11:30(日本時間)に打ち上げられました。飛翔時間は459秒、最高高度は217kmに達し、DES2および展開型エアロシェルRATS2の実験を行いました。
「観測ロケットの寿命は短いものですが、エキサイティングなミッションを行うには十分な長さです」観測ロケット実験グループ長の羽生 宏人(はぶ ひろと)教授は話します。「観測ロケットでは、高度な技術を宇宙環境で実証したり、大気の現象を観測したりします。低地球軌道環境のような代表的な宇宙環境にアプローチするのに、研究者にとって最速の方法が観測ロケットと言えます。」
S-520-31号機と同様、観測ロケットS-520-34号機ははじめ固体燃料で駆動し、途中からDES2に切り替えられました。液体推進剤は正常に燃焼し、438N(ニュートン)の推力を発生させました。
「我々は液体推進デトネーションによる推力の発生を確認できました!」笠原教授はそう報告したものの、推力は速報値で詳細は確認中である、ともしています。
液体推進剤を使う上でのもう一つの課題として、ロケットの回転で発生する遠心力により液体推進剤がチャンバの外壁に押しつけられてしまうため、いかにその燃料を完全に使い切れるかという点があります。この実験は宇宙空間のみでしか行うことができないことから、詳細を知るには観測ロケット実験結果のさらなる解析が必要とされています。

DES2は成功しましたが、事後のヘリコプターによる海域での探索から、すべてが順調に進んだわけではないことが明らかになりました。DES2の実証実験のデータは直接地上に送信されていましたが、追加の情報は直径1.2mのRATS2に搭載されたチップに含まれていました。エアロシェルはロケットからの分離に成功し、着水直前までは位置情報が送信できていました。ですが、チームがその海域を訪れるとRATS2の形跡が何もありませんでした。RATSシステムの最大の懸念の一つが的中、つまりインフレータブルリングに穴が開いてしまったことが推測されました。
「RATSの技術で苦労しているところは、インフレータブル部に穴が開かないようにすることです。」山田准教授は説明します。「現時点で分かっていることは、インフレータブル部にガスが注入された際に途中でエアロシェルが破損し、十分にガスを注入することができなかったようです。その状態のままRATS2はロケットから分離して大気圏突入しましたが、十分な空気抵抗を得ることができず想定より速い速度で落下しました。」
RATS2は着水したものの十分な浮力を得ることができず、エアロシェルは海中に沈んでしまったようです。残念な結果となりましたが、観測ロケットで新たな技術の実験を行う目的は、起こり得る全ての成果と課題を理解することです。
「今回は残念ながら、RATS2はその任務を果たせませんでした。」山田准教授はこう認めたうえで、次のように話します。「同じことを確実に繰り返し成功させる難しさを痛感しました。ただ、うまくいかなかったことからも、多くのことが学べます。早急に原因を特定し、対策を講じて、次の実証試験にむけて開発のスピードを落とすことなく進んでいきたいと思っています。」

笠原教授は、回転デトネーションエンジンシステムの次なる開発にも目を向けています。34号機では推進剤のタンクに市販品を使用しましたが、笠原教授はタンクの開発を自分たちで行うことでより良い成果が出ると確信しています。また、デトネーション波の回転する動きによって新鮮な燃料を点火し続けることができていますが、波の安定性を数分以上維持することは現状では困難です。
「エンジンの作動時間をより長くすることにも取り組みます。」笠原教授はこのように話します。「そのためには、熱制御システムを含んだエンジンを開発します。さらに、エンジンをクラスタ化する(エンジンを複数束ねることによって 推力を増強する)ことも考えています。世界に先駆けてのデトネーションエンジンの衛星軌道上での実証実験実施を目指し、プログラムをすすめていきます。」
山田准教授も、火星を見据えた次のステップとして周回軌道上からの再突入ミッションに着目しています。
「展開型エアロシェルは、最終的には火星着陸機への適用が期待されています。」山田准教授はこう話します。「観測ロケットで繰り返し実験を行い、技術を習熟させつつ、次の技術実証のステップとして、地球低軌道からの帰還ミッションが考えられています。その技術実証に成功すれば、火星への道が拓けると思っています。」
観測ロケット実験は開発中の宇宙技術を垣間見ることができる素晴らしい機会であり、私たちの持つ革新的なアイディアを広く皆さんに知ってもらうことができる場でもあります。いつか私たちが当たり前に行くかもしれない惑星間旅行は、輸送の効率化のため回転デトネーションエンジンを使うものかもしれませんし、インフレータブルRATSリングに乗って惑星表面に降り立つものかもしれません。
(文: Elizabeth Tasker/ 訳:磯辺真純)